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プロローグ 〜一目惚れ×すれ違い〜


 一倉黎、十五歳。
 それは――一目惚れだった。
 相手は≪人形≫。
 といっても、現実に存在しているような単なる無機物ではない。
 コンピュータネットワーク上に存在する、少女の姿をしたオブジェクトだ。

 二○二五年。
 十年前に稼働を始めた次世代ネットワーク≪箱庭≫が世界に広まっていた。
 その特徴は疑似現実。ネットワーク上にもう一つの地球――≪箱庭≫が再現
され、その世界を≪人形≫と呼ばれる3Dオブジェクトが行き来している。
 前世代ネットワークと異なるのは、ネットワークにアクセスしている自分と
いう存在が、周囲から容易に認識可能である点だろう。
 専用のゴーグルを用いれば、≪箱庭≫はまさにもう一つの地球なのだ。

 現在でも旧来のネットワークはまだ存在しているし、変わらず愛され使われ
ている。
 それでも≪箱庭≫が広まったのは、ひとえにコンピュータとネットワークの
資源を扱うコンテンツの枯渇が深刻な問題になっていたからだった。

 ≪箱庭≫ネットワークは同名の新OSによってのみ構築される上に、サーバ
ーにはスパコン級の性能が必要で、ユーザー側でさえも当時最新のハードウェ
アが求められた。
 過去を切り捨てる閉鎖的なシステム。
 だが、当時のハードウェアメーカーはその登場を歓迎した。
 ≪箱庭≫は彼らが開発した製品の性能を完全に引き出すことができる――そ
して何より、そこには想像を超える世界が広がっていたから。

 黎が≪箱庭≫でその少女の≪人形≫を見たのは、目的もなく街をほっつき歩
いているときだった。
 少女は歩道を黎の方へと歩いてきた。
 長い黒髪に白いリボン、裾が広がった黒いドレスを揺らしながら。
 黒い華――黎は少女の姿を見て、そう思った。

 服のデータは有料・無料とあるが、どちらも無限に溢れている。≪人形≫用
のデザイナーが存在するほどに需要があるのだ。
 だから少女の衣装は、≪箱庭≫の世界でもそれほど珍しくない。
 ゴシックロリータ。
 そういうファッションの女は溢れている。
 そして、その少女の『顔』も珍しくない。

 ≪人形≫の顔はフィクションとノンフィクションの狭間にある。
 特殊カメラで撮影した自分のデータを使うことができるし、ショップで売ら
れているモデルから取ったデータを使うこともできる。
 ちなみに、黎は自分の姿をそのまま≪人形≫として使っていた。高校入学時
に作成したデータだ。ちなみに、健康診断の次に≪人形≫作成があるので、誰
でも自分のデータを持っている。

 黎が出会った少女の顔は、モデルがいるタイプのものだった。
 少女型の≪人形≫で人気上位の『咲絵』最新バージョン『ver1.4』だ。

 ≪箱庭≫稼働時から存在している『咲絵』は、一年ごとに新しいバージョン
がリリースされている。
 『咲絵』は十年前、四歳の女の子だった。
 現実に即して『咲絵』は成長し、現在は十四歳くらいの少女の姿になってい
る。

 幼女好きはともかくとして、人気が出始めたのはここ数年くらいのことだ。
それでも、≪箱庭≫内で見たのは一度や二度ではない。
 似たファッションをしている≪人形≫だっていた。
 だから不思議だった。
 今回に限って、なぜ胸が高鳴ったのか。
 黎はあらためて少女型≪人形≫の顔を観察した。

 前を見る漆黒の瞳はどこまでも深い。吸い込まれそうになる。瞬きで洗脳度
がリセットされなければ、本当に画面がブラックアウトしそうだ。眉は生きた
曲線を描き、長い睫は濡れたように光っている。ほんのりと色づいた頬は少女
が生きている証――体温を感じさせた。
 それらは、ほとんどスッピンのような気がする。
 化粧されているのがわかるのは、口元だけだ。
 少しツンと尖らせた唇には口紅が塗られていた。

 色は黒。

 それは日本の現代の街中で、圧倒的な違和感と存在感を誇っていた。
 純白のウエディングドレスと正反対の意味合い。
 何者にも染まらぬと宣言する色。
 けれど、それだけで印象がこうも変わるものだろうか?
 見ただけで、惚れてしまうほどに?

 黎はお喋りカーソルを少女に合わせることはおろか、立ち止まることすらで
きなかった。
 呆然と画面の少女の顔を見つめ、惰性のままに歩き続けるだけだ。
 そして、二人の≪人形≫はすれ違う。
 二○二五年、晩春の出来事だった。





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