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第一章 〜オナニー×オナニー〜



〜1〜

 初夏の日射しが水面に反射して、きらきらと輝いている。
 二ノ辺咲絵は橋の上で知り合いの刑事と待ち合わせをしていた。
 捜査状況を聞くためだ。
 父が行方不明になって、もう半年以上経つ――。

 咲絵の父だけでなく、父の最も親しい友人が一年前に。その息子とも、最近
連絡が取れなくなっていた。
 年齢順に消えているのだ。優れたコンピュータ技術者たちが。それ以前にも、
外国で同様の失踪事件があったと聞く。
 犯人はわかっていた。
 ただ、事件であるという証拠がない。
 仮に失踪者を見つけたとしても、彼らは事件だとは言わないだろう。
 極秘プロジェクトに関わっていたために、連絡を絶っていただけだ。
 それが通ってしまう。
 なにしろ彼女は――
 そのとき、川で羽を休めていた白鳥が飛び立った。
 三羽同時に。
 白鳥たちは並んで橋から離れていく。
 まるで、何かから逃げているかのように。
 ふわりと香水の匂いが鼻をついた。
 歩道を行き来する人間の中、一つの足音が間近で止まる。
「久しぶりね――咲絵ちゃん」
 吐息さえ感じられるくらい近くで、女の声が聞こえた。
 髪が女の手で梳かれる。耳に生温い粘膜の感触を感じて、咲絵はぞくりと背
筋を震わせた。
「あの頃のままね。とても可愛いわ」
「み……三波瀬津奈、ですね」
 咲絵が震えた声でその名をつぶやくと、背後の気配が離れていった。
 川の上を流れる涼しい風が、咲絵の全身にまとわりついていた彼女の甘った
るい香りを洗い流す。
 石畳の歩道を叩く堅い音が数メートル離れたところで立ち止まった。もう彼
女の手は咲絵には届かない。危害を加えるような気配もない。
 それでも咲絵は振り返ることはできなかった。スカートの下で震える足が、
ぴくりとも反応しない。
「咲絵ちゃんが最後よ。あなたがこの世界の最後の砦」
 女の声が告げるのは――開戦。
 そして、それは、咲絵が聞いた父の最後の言葉でもある。
 多数でかかっていってどうにかなる相手ではない。
 一人の強者でしか、彼女は討てない。
「……ッ……」
 咲絵は唇を白い歯で押し潰し、指先まで震えている手で拳を作る。そして、
振り返った。
 女は、すらりとした長身をワインレッドのスーツで包んでいた。真上からの
陽光を受けて紅く染まっている髪を風に泳がせている。そして、黒と灰――左
右の色が違う目と真紅の口紅が塗られた唇が、野性的な笑みを作っていた。獲
物を狙う肉食獣のような獰猛な姿。けれど、美しい。
 三波瀬津奈――オンラインの支配者。
「あたしが怖いの?」
「怖い? 私がどうしてあなたを怖がる必要があるのですか?」
 精一杯の強がりを込めて、咲絵は瀬津奈の目を見返した。反抗する言葉を投
げるだけで、膝が震える。
「ふふ、嬲りがいがありそうね」
 強い風が吹いた。
 舞い上がった咲絵の髪が風に踊らされ、三波瀬津奈の姿を漆黒の向こうへと
隠す。
「楽しませてね、咲絵ちゃん……」
 風が止み、咲絵の髪が元の位置に戻る。すでに彼女の姿はなかった。香りさ
えも、消えている。
 咲絵は背中の髪を掻き分け、服に触れた。
 瀬津奈が触れそうな部分を探っていく。
 この程度の小細工に気づけなければ、お話にならない――とでも言いたげに、
堅い手応え。
 張り付けられていたボタン大のそれを指に挟んだ。
「……盗聴器ですか」
 咲絵は盗聴器を地面に落として踏み潰した。
 ふと思い立ってもう一度背中を探る。
 そこにもう一つ。
 外さずに手を離し、咲絵は奥歯を噛んだ。
「私がやるしか……ないんですね……」
 待ち合わせの相手がやってきたのは、それから数分後だった。


〜2〜

 一倉黎は溜息をつく。
 勉強も遊びもまったく手につかない。
 あの少女を見てから、三週間。
 黎は時には学校をさぼってまで、あの少女を捜し続けていた。
 ≪箱庭≫には綺麗な女も可愛い少女も溢れている。学校や仕事には自分の≪
人形≫で、放課後には商品の≪人形≫で、という使い分けもできるからだ。単
に遊ぶだけなら容姿が気にならない方がいいと、そういう使い方をしている人
間は多い。年齢や性別すら変えるユーザーもいる。そういう遊び上手な人間の
≪人形≫は、たいていファッションセンスも抜群だ。けれどそんな美しい≪人
形≫を見ても、黎は何も感じない。
 やはり、あのときの少女は特別なのだ。
 それを示すように、同じ『咲絵』タイプの≪人形≫を見ても、胸がときめく
ことはなかった。指の数では足りないほど見た『咲絵』の中には、あの少女と
同じようなファッションをしている≪人形≫もいた。
 けれど。
 どこかが違う。何かが足りない。別人だ。見るたびに無意識がそんな叫び声
を上げるのだ。
 彼女の≪人形≫を見た道を一日中眺めていたこともあった。それで、ネット
警察に職務質問を受けたりもした。
 それでも、馬鹿だ馬鹿だと思いながらも、諦める気にはなれない。
 黎がもう一度溜息をついたとき、ヘッドホンからチャイムが流れた。
 昼休みだ。
「……ちょっと、見に行ってみようかな」
 昼食は授業を受けながら食べたので、腹は問題ない。
 息抜きに、それほど遠くないあの場所へ向かうことにする。
 黎は≪人形≫を机に突っ伏させて、スリープモードにした。


「この時間に外出するのって、久しぶりだなー」
 外へ出てきた黎は、思いきり伸びをした。血液の循環がスムーズになってい
くのが感じられる。 
 黎は体育がない日はネット授業ですますことが多い。しかも、ここ三週間は
体育に出ていなかったりする。太陽の下に出るのは久しぶりだった。陽光で髪
の毛が温まる感触が、どこか懐かしい。
 黎が向かったのは、現実のあの場所だった。
 商店街の再開発で活気を取り戻した地元の道。
 ファッション関係の店が中心に並んだショッピングモールの一角。
 平日の真っ昼間なので、それほど人は多くなかった。
 黎は道の脇にある一人用ベンチに腰かける。
 五分ほど通行人をチェックしてばからしくなった。
 ≪箱庭≫と現実の行動範囲なんて、一致しないことの方が多い。
「……帰ろう」
 こんなことをしている間に、≪箱庭≫で彼女が通りかかったらまぬけだ。
 立ち上がって、黎は視界に違和感を覚える。
 モールの奥から、黒い塊がやってくるのに気づいた。
 太陽の黒点のように、周囲の明るい風景からぽっかりと浮いている。
 小柄な少女だった。
 黎は信じられない思いで、目を見開く。
 腰にまで届きそうな髪は漆黒。膝丈のワンピースも肩から下げているバック
も、けっこうヒールのあるブーツ、口紅にマニキュアまで黒で統一されている。
かといって暗い雰囲気はなく、胸元や手足の白い肌が眩しいくらいの明るさを
少女に与えていた。
 そして、玲瓏なまでに整った目鼻立ちは――≪人形≫『咲絵』にそっくりだ。
 黎は確信する。
 この少女は、三週間前≪箱庭≫で見た、あの少女だ。
 どうして彼女の≪人形≫に惹かれたのか、黎はようやく理解できた。

 少女が黎の前を通り過ぎていく。
 黎はその姿をただ目で追うことしかできない。
 既視感を覚えながら、愚の骨頂を繰り返しそうになっていたそのとき。
 少女が数歩通り過ぎたところで立ち止まった。
 くるりと回転して、唖然としている黎の方に向き直る。
「何ですか?」
 黎の露骨すぎる視線に気づいていたらしい。
「い、い、いえっ、何でも!」
 少女に話しかけられた黎は、どもった大声を上げてしまう。しかも、不躾で
嫌われそうな台詞まで、つい。
「ええっと、そのっ、すごく可愛いので、見てただけですっ!」
「そうなんですか? ありがとうございます」
 口走った瞬間、やべっと思ったが、少女はにこりと微笑んだ。≪人形≫が微
笑むより、遙かに自然で生き生きとした表情だ。
 それから少女の口から出た言葉に、黎は失神しそうになった。
「もし暇でしたら、少しお時間いただけませんか?」


〜3〜

 即断即決で快諾した黎は、少女と並んでモールを出た。
 歩くたびに裾が跳ねる少女の服装。現実と虚構の区別があやふやに感じられ
た。≪箱庭≫に入り浸っていたせいで、まだネットの中にいるのでは、という
気もする。嘘みたいだ。
 それでも、少女から漂ってくる清潔そうな匂いに気づき、これは紛うことな
き現実だと確信。
 黎は探し求めていた少女と現実の世界で歩いているのだ――誘われたのに頷
いてから、ずっと無言のままで。それに気づき、黎は慌てて名乗りを上げる。
「あ、え、えーと、僕、一倉黎って言います!」
「……一倉、黎さん」
 大きな声だったが、少女は微笑んで黎に顔を向けた。
 それだけでふわりと意識がどこかに飛んでいくかと思ってしまう黎だった。
「王様、なんですね」
「え……? それ、どういう意味?」
「『rey』……スペイン語で王です」
「へえ……英語で光線なら言われたことあるけど……」
 実際、スペイン語は日本ではずいぶんマイナーな言語のような気がする。英
語日本語以外はドングリの背比べ的知名度。有名なのはサッカーの応援でよく
使われる、オーレで、それしか黎は知らなかった。
「私は咲絵です。二ノ辺咲絵」
「二ノ辺――咲絵ちゃん、か」
 ≪人形≫と同じ名前だった。
 口の中で反芻し、急に胸がドキドキしてくる。
「えーと、確かこっちの方に……」
 軽く跳ねるようにして歩く咲絵は、何の変哲もない通りを右に折れた。
 見えたのは、この通りでまず目立つのは、花火屋だった。


 咲絵は穴のないカゴを持つと、店内を見回しながら奥へと進んでいく。
 夏はもうすぐ。
 なので、花火を買うのは、別におかしくないけれど、咲絵は花火を手に取る
気配はない。
 訝しげに思いながらついていくと、ある棚の前で立ち止まった。
「ありました」
「……爆竹?」
 咲絵は爆竹の箱をどさどさとカゴに入れる。花火として人気のない爆竹なの
で数は少なく、棚は空になっていた。買い占めである。なんとなく呆れて見学
していると、咲絵にカゴを渡された。
「後で払いますから、これ、買ってくれませんか?」
「……はい?」
「買ったこと、相手に知られたくないので」
 それが黎を誘った理由、なんだろうか。
 ≪箱庭≫は精細なグラフィックスだけでなく、そのセキュリティの高さも評
価されている。≪箱庭≫を介したシステムで買い物をしても、その履歴を他人
に盗み見られる心配はない。
 例外は保護者と未成年という関係だけだ。
 例えば、黎が携帯で買い物をすれば、親は何を買ったか知ることができる。
 では咲絵が言った『相手』は親を指すのだろうか。
 気になったものの、黎は何も言わずに彼女の要望に応えた。
 爆竹ばかり。
 店の主には変な顔をされたが、購入できた。
 黎は先に店を出ていた咲絵に有料袋に入った爆竹を差し出す。
「ありがとうございます」
 白くて華奢な手が、黎の手から袋を受け取った。
 当然のように言ってくる。
「まだ払えないので、私の部屋まで付き合って下さい」
 思えば、ここが黎の分岐点だった。
 冷静なら、少女の姿に魅入られていなければ、気づけただろう。
 うますぎる展開に、怪しい、と。
 けれど、自分の意志で少女を求めていた黎には気づくことはできなかった。
 できないまま、深みに流されていく。
 ≪箱庭≫に秘められていた闇の中へと。
 そう。
 咲絵と接触したこの時点で、黎はキャラクターとして組み込まれてしまって
いたのだ。
 そして、それを知らないのは、黎だけだった。


〜4〜

「……何のためにそんなことしてるの?」
 好奇心から、黎は咲絵に尋ねた。
「ちょっと、黙っていてくれます?」
 にべもない。
 部屋に戻ってきてから、咲絵は爆竹を箱から出して一つにまとめる細工をし
ている。その作業に没頭してしまっているので、咲絵の部屋を見回してみる。
 十四歳の彼女は一人暮らしらしい。間取りは3LDK。あまりにも広くて豪
華なので、いいところのお嬢さんなのかと推測。黎と咲絵がいるのは、パソコ
ンや周辺機器で溢れた部屋だ。普段活動している部屋で、あと衣装部屋と寝室
があるらしい。
「あの、これ、台所でお願いします」
 ロウソクを渡されたので、ライターなんか持っていない黎は台所へ向かった。
電気ではなく、ガス。自炊しているらしく、調理器具も充実していた。
 火をつけて戻る。
 咲絵は部屋の入り口で一つにまとめられた爆竹の束を手にしていた。
「……じゃあいきます」
 そう言われて初めて、黎は咲絵が部屋で爆竹を使うつもりなのだと理解した。
咲絵は導火線に火をつけると、素早くコンピュータのある部屋に投げ込んでド
アを閉めた。
 壮絶な破裂音が扉の向こうから聞こえてくる。
 どこかの祭りを思い出す騒がしさだ。
 爆発が治まると、咲絵はドアを開ける。
 爆竹の破片が飛び散って、火薬の匂いがプンプンする部屋の惨状を見て、黎
はげんなりとする。
「何でこんな……」
「もしこの部屋に盗聴器が仕掛けられていたとしたら、向こうで面白いことに
なったと思いません?」
「と、盗聴器って……あ……」
 この部屋で作業しているときに無言だった理由は納得はできた。
 それに、咲絵の可愛さを考えれば、一人や二人ストーカーがいてもおかしく
ない。かくいう黎も、ある意味ではストーカーのようなものだ。
「……銀行口座教えてくれます?」
「あ、あ、うん」
 携帯を出して、黎は自分の口座を伝えた。
 咲絵が反復したので、合っている、と頷く。
「……確認して下さい」
 振り込まれていた額は、爆竹代+十万円だった。
「あれ、え、これ……って、え?」
「よければ、もう一仕事してくれませんか?」
 黒い少女は小首を傾げて髪を揺らし、にこりと魅力的に微笑った。
 黎は顔が紅くなるのを自覚しながら、つぶやく。
「もしかして、掃除?」


 仕事内容は掃除ではなく引っ越し。
 黎は当然、手伝うことにした。
 一目惚れをした少女と一緒にいられる絶好の機会なのだから。
 しかも、密室に二人きりで。
 背後に少女の存在を感じ、黎はモヤモヤした気分になった。
「……取れました?」
「ん、だいじょうぶ」
 黎は押入の上の段から潰された段ボールと緩衝剤を引っぱり出した。
 リビングに運んで、組み立ててガムテープで補強する。
 それから、あれやこれやと荷造りが始まった。
「――そのタンスに入っている服、段ボールに詰めて下さい」
 咲絵はリビングにあるタンスを指して指示してくる。
「各段の半分ずつくらいを」
「わかった」
 黎は頷いて、一番上の引き出しを開ける。入っていたのは、髪留めやリボン。
アクセサリ。思い直して一番下の引き出しを開けた。普段着にしているらしい
夏物の衣類が入っている。流行りものとは言えないが、どれも咲絵が今着てい
るように可愛いデザインの服だった。丁寧にたたまれている状態を崩さないよ
うに、右半分を段ボールの中へ移していった。
 順に作業を繰り返し――。
「うわっ……!」
 黎は上から二段目を開けて、思わず声を上げてしまう。咲絵が、女の子が男
に任せたわけだから、こんなものが出てくるとは思っていなかった。
 白を中心とした布たちが、引き出しの中で踊っている。
「ここ、こ……この段……し、下着、みたいなんだけど!」
「え、あっ……」
 黎が指摘すると、咲絵は驚いた顔をする。食器を持ったまま、彼女の動きが
ぴたりと止まった。頬が真っ赤になっている。
「ご、ご、ごめんなさい。忘れてました」
「い、いや、別に、謝られることでは……」
「服と一緒に詰めてくれていいです」
 咲絵は素早く平静を取り戻して、持っていた食器を緩衝剤と一緒に箱に詰め
た。次を取りに食器棚に戻っていく。恥ずかしさからか、それきり黎を見よう
ともしない。
(……こ、このまま、僕にやれってこと?)
 ジロジロ見るのも失礼だと思い、黎は顔を火照らせながら、清楚なデザイン
のショーツとAカップブラジャーたちを手早く箱に移していった。
 ちらりと咲絵の方を見る。
 彼女は二つのカップを交互に見て首を傾げていた。どちらを段ボールに入れ
るか迷っているらしい。
 黎は引き出しの中に目を戻す。下着はだいたい半分くらい移し終わっている。
 そこでふと、よからぬ考えが頭をよぎった。
(……一枚くらいなら、ばれないかも)
 今日は咲絵の気紛れでこうして一緒にいるけど、次に会える保障はない。何
しろ彼女は引っ越してしまうわけで。容姿も脳みそも一般レベルの黎には、お
金持ちの美少女に正攻法でアタックできる度胸はない。メールアドレスを聞く
ことも、教えることも、ためらってしまっている。
 三週間あったのにその程度の決意がないのは、ひとえに会ってからのことを
何も考えていなかったからだ。もう一度会いたい、という気持ちだけで動いて
いた。何より、いきなり現実で会うなんて、まったくの想定外だったのだ。≪
箱庭≫上でなら、もう少しうまく会話もできたはずなのに。
 なので、黎は会ったときから『次』を半分諦めていた。となると、欲しいの
は、会えた証拠。記念品。
 そこで目の前にぶら下げられたのは――下着。
(そうだよ。こんなにあるし……一枚なくなっても、きっとわからないって!)
 理性が砕けていると自覚しながら、手は動いた。残った半分の中から、全体
として一番数が多い白色のショーツをそっと摘み上げる。盗みを働こうとして
いるせいで、心臓がバクバクと破裂しそうだった。
 手品師のように咲絵の下着を手のひらの中に隠す。相手の視線を避けながら、
握った手をポケットに入れた。
 罪悪感に心満たされながらも、入れてしまった。
 その後。
 黎は少しぎこちない動作で作業を続けた。


〜5〜

「バカか、僕は……」
 黎はお茶とクッキーをごちそうになって、咲絵の部屋を後にしていた。
 トボトボと歩きながら、ポケットの中に意識を向ける。
(これじゃ、ただの変態じゃないか……)
 我ながら、情けない。こんなことをしては、次に会えたとしても、後ろめた
くなるだけだ。
 かといって、返しに行くのも無理。ポストに放り込んだとして、誰の仕業か
なんて、よほどおおらかな性格の持ち主でない限り、気づくだろう。まして、
あの利発そうな少女なら期待するだけ無駄。いや、状況はすでに絶望的かもし
れない。黎は自分の下着が何枚あるかなんて数えたことはないけれど、咲絵な
ら記憶しているかもしれない。
「あ・あ・あ・あーっ!」
 黎はなんとなくいたたまれなくなって、道ばたで髪を掻きむしった。
 夕焼けが目に沁みる。
「はあ……」
 勝手に溜息が出て、勝手に首がカクンッと前に崩れる。
 そのまま歩いていると、誰かに頭を掴まれた。
 前からの圧力に足が進まなくなる。
「危ないわねぇ。前を見て歩きなさいよ」
 好戦的な印象のある女性の声。
 そういえば、黒いストッキングに包まれた長い足と、真っ赤なヒールが見え
る。
 黎は怖々と顔を上げていった。
 膝上十五センチのスカートはワインレッド。
 ジャケットを押し上げるボリュームたっぷりの膨らみ。
 その向こうにある顔は――。
「うわあああっ!」
 黎は声を上げて後ずさっていた。
 女性の顔に、見覚えがあったのだ。
 現実で知っているという意味ではなく、二ノ辺咲絵と同じ意味で。
「どうしたの、驚いちゃって。一倉黎くん」
 ≪箱庭≫上で見るのと同じ、あるいはそれより蠱惑的なプロポーションの女
性『瀬津奈』は、腰に手を立てて黎の動きに呆れていた。
 その顔を見て、黎は≪人形≫の彼女と一つだけ違うパーツがあることに気づ
く。
 目だ。
 右と左が違う。
 黒と灰。
 何故か退廃的に思える組み合わせ。
「……はい?」
 それから、微妙な間をおいて、黎は眉をひそめた。
 どうして『瀬津奈』は自分の名前を知っているのだろうか、と。
「ふふ。あなたと咲絵ちゃんとの仲、取り持ってあげましょうか?」
 ぞくっとした。
 黎は初めて、目の前の女性が纏っている危険な空気に気づく。
 瞬間、確信した。
 咲絵が言っていた買い物履歴を盗み見られるかもしれない相手、仕掛けられ
た盗聴器の向こうにいる相手は、この女なのだと。そして、咲絵と同じように、
この女性の名もまた≪人形≫と同じ名、瀬津奈なのだろう、と。
「まあ、断っても構わないわよ。あなたじゃない誰かが、咲絵ちゃんと親しく
なるだけだから」
 瀬津奈は紅い唇を艶めかしく歪める。
 まるで、黎が承諾すると確信しているような笑みだった。
「咲絵ちゃんとエッチしたいでしょ?」
「…………」
 あまりにも直接的な表現に、黎は反応を返せない。二ノ辺咲絵に対して、性
的欲求がないといえば嘘だ。だいたい、黎は咲絵の下着を盗んできているわけ
で。結局、若い男の願望はそこに行き着く。
 まして今は、モデル以上に挑発的な香りを放っている大人の肢体が目の前に
あるのだ。想像するなという方が酷だった。
「迷わないでいいのよ。あなたが咲絵ちゃんに斟酌する必要なんてないの」
 何の前触れもなく伸びた瀬津奈の手が、黎の襟に触れた。
「ほら、やっぱり」
「やっぱり……?」
 紅いマニキュアが塗られた瀬津奈の指先が、碁石を持つように何かを掴んで
いた。黒いボタンのような物体。
「そ、それ……って……」
 盗聴器という咲絵の言葉を思い出して、口から水分が急速に消えていく。
「あたしがあなたに接触する可能性を考えて、あなたを囮にしたのね」
「そんな……」
 そういえば、荷物をまとめた後、咲絵がそこに触れていた覚えがある。ごく
自然に、襟が乱れているから、と。軽いスキンシップに黎は舞い上がっていた
が、まさかそんなことをされていようとは。
「その気があるなら、乗りなさい」
 瀬津奈は脇に停めてあったスポーツカーに乗り込んだ。
 血の色をしたボディが夕焼けに染まって、さらに毒々しい紅になっている。
 瀬津奈が助手席のウインドウを開けると、妖しい香りが漂ってきた。
 一息吸うと、頭がぼやけた。
 食虫植物の罠に誘われている虫のような気分。
 黎は意志を奪われた人形のように、ふらふらと助手席に乗り込んでいた。





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